
2025年01月08日 Zenoaq Story
【Story】創業者 福井貞一が辿った薬人生と、誠実な生き方の重み(後編)
写真:創業時、最初の社屋
ZENOAQ Story(ゼノアック ストーリー)では、月に1回オリジナルの読み物記事を配信し、弊社に関わる動物やヒトなどのストーリーをお伝えします。 |
ありがとうございます。
日本全薬工業の前身である「旭日薬品工業株式会社」として起業した1946年、順調に思えた滑り出しも、代金の回収率が悪く、すぐに暗礁に乗り上げてしまいます。これが戦友ら4人による横領が原因だと発覚するのは、翌年の初めでした。
横領事件は深い傷跡を残します。会社の再建も暗中模索のなか、引き続き工場を借りようとしたところ、これまでの支払いも整理せずに工場を借りたいとはあきれたものだ、と告げられます。その通りではあるのですが、売り言葉に買い言葉、社主は「それなら、支払い期日前までにこれまでの支払いをすべて済ませましょう」と答えてしまったのです。しかし、金策のあては全くありません。
借金は5万円、今なら1千万円に相当します。猶予はわずか1か月。ブローカー業はどうかと富山薬学専門学校の出身者を頼って上京するも、成果なく旅費を使い果たしただけ。仏法に救いを求め参拝を続けるも、天からお金が降ってくることはありません。仙台で薬が売れると噂を聞くも、切符が入手できません。万策尽き、支払いまであと2日と迫った日、突然ある人が顔を出しました。
その人こそ、社主が勤務していた陸軍病院で衛生軍曹を務めていた岡田重次さんでした。久しぶりの再会を喜ぶと、岡田さんは「5万円のことは心配いりません、無条件で融通します」と言いました。社主は耳を疑り、もし借りられたとしても返済できる見込みはないと即座に断りましたが、岡田さんは明日の正午までに大越町(おおごえまち・福島県)まで来てくださいと言い残し、ニコニコして帰っていきました。社主は夢を見ている錯覚に襲われました。
翌日、岡田さんから5万円を受け取るも、"帰宅して包みを開けたら木ノ葉に変わっているのではないか"、本気でそう思うほど信じられない出来事でした。帰宅後、奥方の澄子に5万円を見せ、御戒壇の前に置いて手を合わせると、思わず涙があふれてきました。「このお金でこれまで苦しんでいたのですか」と声をかけられ後ろを振り向くと、日ごろから金策に苦悩する社主を見ていた澄子も泣いていました。約束の日、無事に精算を終え工場は引き続き使用できることになりました。
特別に親しい付き合いもなかった岡田さんが、なぜ5万円を提供してくれたのか、社主には思い当たる節がありませんでした。思い切って尋ねると、思いがけない答えが返ってきました。岡田さんが陸軍病院に勤務中に奥様の病気が悪化したため、軍規違反と知りながら週番長に外出許可を求めました。蹴られることすら覚悟していましたが、週番長は「すぐ行きなさい」と外出を認めました。その週番長が社主だったのです。当然のことをしただけと考えていた社主は、当時のことをはっきりと思い出せませんでしたが、岡田さんの脳裏には焼き付いていたというのです。
同じ苦労を共にした関係性でも、一方からは横領という不義理を働かれ、もう一方からは恩返しを受け窮地を救われることになりました。そのとき、社主は肌身に感じて「誠実な生き方」の重さを知りました。
弊社では、事あるごとに「誠実」という言葉を耳にします。そのルーツにはこのようなエピソードがあり、これからも大切にしていきたい価値観だと考えています。
ありがとうございました。
※福島民友新聞 連載「私の半生」(1989年)より