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2025年04月02日 Zenoaq Story

【History】ゼノアックはなぜ社員の子供にランドセルを贈るのか?創業者親子の物語と思い。|Zenoaq Story

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 画像:寄贈されたランドセルとお手紙

ZENOAQ Story(ゼノアック ストーリー)では、月に1回オリジナルの読み物記事を配信し、弊社に関わる動物やヒトなどのストーリーをお伝えします。

ありがとうございます。

新年度を迎え、職場や学校が新たな環境となった方も多いと思います。地域では小学生になったばかりの子供たちが、真新しいランドセルを背負っている姿を見ることもあるのではないでしょうか。

ゼノアックには、「社員の子供が小学校に入学する時、ランドセル1個(または祝い金)を支給する」という福利厚生があります。実はこの取り組みは、1957年から68年間ずっと続いているものです。この背景には創業者 福井貞一(さだかず/以下、社主)と、長男 邦顕(くにあき・現ホールディングス社長/以下、邦顕)の物語がありました。

弊社は1946年に創業し、しばらくの間は経営が軌道に乗らず、福井家はお金のない生活を続けていました。そんな中、戦時中に生まれた長男/邦顕も成長し、19514月に芳山小学校(福島県郡山市)に入学します。

しかし、社主は経済的な事情で当時四~五百円のランドセルを買うことができず、戦時中使っていた将校用背嚢(はいのう)を持たせることにしました。この背嚢は必需品だけを入れる物なので、中身が空のときはペチャンコになります。邦顕は「このランドセルはフタが丸くなっていないから、きらいだ」と嫌がりました。子供の気持ちを憂いても、社主にはどうすることもできませんでした。

入学式の日、邦顕は背嚢を背負わされ家を出ました。背嚢を背負った子供の後ろ姿は、まるで背嚢が歩いているようでした。背嚢で登校するのを渋る邦顕を妻の澄子が懸命に説得していましたが、社主は後ろでただ黙って見ているだけでした。叱ることができなかったからです。ようやく諦めて登校する邦顕の後ろ姿に、父も母も涙があふれてくるのを堪えることはできませんでした。子供にランドセルを持たせられない切なさとみじめさに、社主は押しつぶされそうになったのです。

しかし、学校から帰ってきた邦顕は、なぜか嬉しそうな顔をしていました。理由を聞くと、学校の先生から「福井のランドセルは一番立派だ」と褒められたからだと言います。先生の心遣いは、親子の心を救ってくれました。邦顕は6年間この背嚢で通学しました。

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画像:将校用背嚢(はいのう)のイメージ

社員の新入学児童全員にランドセルを贈り始めたのは、こんな悲哀を味わう家族を会社から出してはならないという、社員を大事にする社主の思いからでした。そして、現在まで続くランドセルの寄贈は、直近10年間で144個を数え 、今年も新たなランドセルが贈られました。

社内では、ランドセルを受け取った児童からのお礼の手紙や写真が任意で共有されており、社内報などを通して幸せな気持ちを分けてもらうことができます。

ありがとうございました。

※福島民友新聞 連載「私の半生」(1989年)より